400年前から続く、日本による沖縄支配の歴史

琉球諸島は、現在日本の支配下にある地域であり、多くの日本人が沖縄県は昔から日本の一部であったかのように錯覚している。だが、もともと沖縄は琉球という一個の独立国家が維持されていた地域だった。日本では植民地とは呼称されないが、実際には帝国主義の時代の典型的な植民地支配と同様の性質を持っている。つまり、外からの暴力による支配があった。

この構図は、その歴史は今からおよそ四百年前、江戸幕府の指示で薩摩藩が軍事的に制圧し、実質的な植民地支配を獲得したところから始まる。

続きを読む 400年前から続く、日本による沖縄支配の歴史

終戦直後に作られた国家事業としての巨大売春所,特殊慰安施設協会(RAA)

1945年、敗戦が決定的になった日本政府はポツダム宣言を受諾して太平洋戦争が終結すると直ちに、特殊慰安施設協会と称する事業を国家主導で開始した。この事業は、ポツダム宣言受諾直後から連合軍が上陸するまでのわずかな期間から急速に展開した。

全盛期には日本人女性7万人が売られた。この出来事は、終戦のどさくさで一部のヤクザが便乗したという程度のおだやかな話ではない。

国家の中枢にあった官民にわたる大規模な構造が、独占していた権力を利用して、国民から奪える限りのものを奪い、それを足掛かりに自らの財産や権力を温存し、さらに戦後日本に強い影響を残すことになったという話なのである。

国家権力とその取り巻きは、敗戦に至ってもなお国民を利用して経済的背景と強力な連携を確保し続けた。時代を下って現代に至るまで国家の中心に居座り続け、膨張しているその権力は、終戦のその瞬間であっても横暴だったのである。

続きを読む 終戦直後に作られた国家事業としての巨大売春所,特殊慰安施設協会(RAA)

古代から明治政府へと続く日本の性産業の歴史

管理売春と人身売買の境界は曖昧で、日本では古代の奴隷制に由来する非常に長い歴史がある。

暴力によって成立した古代の奴隷制は、やがて支配者を権威化・儀式化し、信仰の対象として発達させるとともに、権威主義的な王権を成立させた。大化の改新後も、神官の権威を血縁主義によって引き継ぐことになった貴族達は姿を変えながらその構造を引き継いでいった。奴隷交易と性産業は結びつき、さらに神道と互助関係を形成した流れが起きた。結果的に、組織的売春は、古くから巫女・神社に結びついてもいた。

江戸時代末期には、討幕運動とも結びつき、明治以降も政府と非合法結社の癒着した構造を経済的背景として時代を下っていくことになる。

政府と性産業・人身売買の癒着構造を追えば、遊郭における年季雇用、殖産興業における女工の年季雇用、戦時中の従軍慰安婦への流れを見ることがもきる。

近代・現代においてもしばしば政府が干渉し、性産業や人身売買を拒絶するというよりむしろ、一部勢力に対して独占を支援し保護する政策をとった。つまり、性産業は引き続き強い政治利権となっている。

続きを読む 古代から明治政府へと続く日本の性産業の歴史

政府がヤクザを動員した歴史【アイク歓迎実行委員会】

日米安保体制の構築過程は暴力団や右翼団体と切って切り離せない。政府は、日米安保体制の構築の過程では、反対運動を「警備」するための警察官の数の不足を補うために、右翼団体やヤクザを動員した。

1960年、米国のドワイト・D・アイゼンハワー大統領の訪日前の日米安全保障条約の批准を予定していた。国民の反対の声は強く、連日10万人規模のデモが行なわれる状況にあった。自民党安全保障委員会は、右翼団体や暴力団の有力者と結びつき、テキ屋、旧軍人、消防団関係、宗教団体、右翼団体、暴力団などを動員し、左翼の集会に殴り込みをかけさせた。

実は、街宣右翼、広域暴力団の大規模化はこの頃から始まった。 続きを読む 政府がヤクザを動員した歴史【アイク歓迎実行委員会】

国家の起こしたテロ事件『菅生事件』と破防法の成立

日本には警察が組織的にテロ事件を行った歴史がある。菅生事件も、乱暴な不正操作の一つとして挙げられる。

共産党員が容疑者とされた菅生事件という駐在所爆破事件がおきたのは、サンフランシスコ講和条約が発効した1952年のことだった。この事件は当初、共産党員による犯行とされた。この事件は、一か月後の破壊活動防止法成立を後押しすることになったのみならず、講和と同時に結んだ日米安保条約(内乱鎮圧条項を含んでいた)を正当化する口実として用いられた。

「主権回復」がさかんに宣伝された講和条約だったが、当初から権力固定のために政府による不正な操作が用いられていた。警察・政府による自演テロ事件は、政治的な対立勢力を削ぐために利用された。

犯人を擁する政党として名指しされた共産党は、それまで35議席あった共産党は直後の選挙では全議席を失った。選挙結果に大きなインパクト与えた後になって、法廷では被疑者の冤罪が立証され、さらに、警察当局によるでっちあげが立証された。

続きを読む 国家の起こしたテロ事件『菅生事件』と破防法の成立

トンキン湾事件、攻撃されないなら、攻撃を捏造すればいい

攻撃されなくても攻撃を捏造して反撃を正当化する、こうした手段は珍しいものではなく、歴史的に繰り返されてきた。

1964年、米国政府がベトナム戦争に介入する口実として、北ベトナムが一方的に魚雷攻撃したとでっちあげたトンキン湾事件もその一つだ。

この出来事は、日本とその隣国である韓国にとっても無関係ではなかった。当時、日本政府や韓国政府が体制を維持するためには、ベトナム戦争が起こることが必要だった。

同時期に結ばれた日韓基本協定は、東アジアの戦争経済を駆動するために機能した。戦争特需によって延長された高度経済成長が、その後の日本の経済構造を基礎づけ、韓国の朝鮮戦争後の復興を可能にした。

米国政府と米国に協力・依存する政府にとって、体制維持のために戦争経済が必要だった。トンキン湾事件は、いわば「国益」だったのである。

続きを読む トンキン湾事件、攻撃されないなら、攻撃を捏造すればいい