民主主義は「少数を尊重するべき」という人へ

「(民主主義は)少数を尊重するべき」という人は、

少数でも嫌だという人がいるときに、嫌だという人の財産を合意を得ることなく奪って何かをしようとするべきではない。

というルールを受け入れるべきではないだろうか?
これはごくシンプルな要請だ。

嫌だと言う人から合意なく財産を奪ってよいという人は、少数違憲を尊重しているとは絶対に言えないだろう。

つまり、「少数を尊重するべき」という人は、租税や社会保険料の強制負担に常に反対しなければならない。他人の財産を奪って、強制的に使途を決めることになってしまうからだ。

「(民主主義は)少数を尊重するべき」という人は、必然的に民主主義国家が存在することを容認しないはずなのだが、どこでどうやって折り合いをつけているのだろうか?

ちなみに、私は民主主義国家が存在することを容認しなくてもよいと思っている。

労働基準法って違憲じゃないの?

労働基準法は憲法25条に定められた生存権を根拠としているという説明がなされることがしばしばある。たしかに動労基準法の第一条には「労働条件は、労働者が人間らしい生活ができるものでなければならない」旨を規定されているから、うっかり納得してしまいそうになる。

でも、素直に納得する前にちょっと立ち止まって考えてほしい。

国家権力を制約するはずの憲法が、なぜか国民同士の雇用契約を国家権力が制約する根拠とされていて、国家権力による取り締まりまでしていて、そのさじ加減を国会議員が相談して決めるというのだから、不思議ではないだろうか?

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フリーランスに産休を与えるというアイディアの恐しさ

フリーランスに産休を与えるというアイディアがまことしやかに語られるようになってきている。

フリーランスにとって休業のコストはまったくそれぞれ違う。 人によっては単に収入がなくなるだけだが、人によっては一日休めば百万円かかる話になる。それを完全にカバーする公平なセーフティネットなど、原理的にあり得ないし、どこまで保護するべきかを線引きすることの妥当性もない。

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自由権と社会権と人権

顧客は相手の仕事に納得して対価として払っている。

本人が望んで誰かを助けようとするならともかく、第三者が横から取り分をよこせという権利はそもそもないはずである。この関係をごまかしてしまうと、助け合いではなく奪い合いになってしまう。

本来、人権とは他者から自由を奪われない権利のことであった(消極的自由, 自由権)。 そもそもないはずの第三者が横から取り分をよこせという権利を、政治が作ってしまった。それが、社会権というものである。つまり、政府が税金を使って(他人から強制的に経済的自由を奪って)誰かに強制的に分配することが人権を政府が守ることであるという考え方のことだ。

たとえ民主主義に基づく決定といえども人々が幸福を追求する自由を邪魔してはならない。そういう考え方に基づいて、憲法が政府を縛ったはずである。ところがいつの間にか、憲法を口実に「人権」を守るために人の自由を縛れという形に、さかさまに読み替えられてしまったわけだ。

他者の自由を侵害することによってしか成り立たないものへと人権の概念を拡張すれば、権力は肥大し、人権は闘技場の中に入る権利を意味することになる。

もともとの人権の概念も、もともとの憲法の意義も、何もかも破壊してしまったとしたら、民主主義を掲げる国家に何が起こるだろうか?

そんな実験が進行中だ。

http://shibari.wpblog.jp/archives/13822

 

 

法定結婚制度の意義

選択制夫婦別姓や同性婚が議論になるといつも、「他人の自由度を増やすだけで嫌なら自分が選択しなければよいだけなのだから反対する理由なんかないはず」という人がいる。

それをいうなら……と言えば、いくらでも結婚は拡張できる。 続きを読む 法定結婚制度の意義

分業コストを上昇させる政策の症状

(恵方巻とか、バレンタインのチョコレートとか、クリスマスケーキとか……なぜ楽しいはずのものが、楽しいと感じられなくなるのだろう。)

租税や許認可や規制・優遇といった政府の介入で分業のコストが上昇するほど、大企業によるコンビニみたいな画一的な経営に集約し、人々はそこにある画一的な商品に群がり、演出される意味の薄いブームに振り回され、虚しさを表明するようになる。 続きを読む 分業コストを上昇させる政策の症状

公務員はなんで間抜けな業務を放置するのか?

公立学校や役所の中のひとたちは「こんなの非効率だから民間の真似をしろ」というのに、なんでそんな非効率が発達したのかを考えないことにする。

目の前にあるものが間抜けだからやめようと言おうにも、それはダメだで放置されるという話がゴロゴロ落ちている。それはなぜか?

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公務員の報酬の妥当性

公務員も労働に「見合った」報酬が得られるべきだという人がいる。だが、見合った報酬とはどのようなものだろうか?

民間企業の人であれば、払いたいと思うお客さんから受け取ったお金を受け取るし、払いたいと思う雇用主から受け取った賃金を受け取る。双方の合意に基づいた取引の中で価格が決まって、合意できないならそもそも価格がない。だから、合意によって成立した価格は見合っていると言えるのである。

公務員に関して言うなら、「公務員の妥当な報酬を決める方法は、そもそも存在しない」というのが正しいだろう。欲しくないサービスを供給されても、普通は要らないということができる。ところが、公のサービスに関して言えば欲しいか欲しくないかと拘わらず税金を負担させられてしまっているからだ。

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公務員の待遇を良くするための合理的な方法

公務員の給料を増やせ、そんなことを言う人もいる。だけど、納税者としては違和感がある。なぜだろうか?

たしかに私たちは公のサービスを使う。けれども、だからといって税負担を増やすことの妥当性はそもそもよく分からない。なぜなら、それが本当に最も安上がりな手段なのか私たちには分からないからである。それどころか、きっと割高であろうと感じている人も少なくない。実際のところ、お役所仕事が非効率だということは、多くの人が知っていることなのである。

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