優秀な人材がほしいなら賃金上げろよ

Pocket

「優秀な人材がほしいなら賃金上げろよ」

そう、経営者は平凡な人材を雇うのをさっさとやめて優秀な人材だけを高賃金で雇う会社にすればよいのである。

それはそうなのだが、高スペック人材ばかりを雇う会社がある程度増えれば、平凡な人材が市場に余るわけで、平凡な人材を安く雇って商売をするという選択もまた増えることになる。

実際、「優秀な人材がほしいなら賃金上げろ」と「平凡な人材は安く雇われる」は市場で同時に実現されている。労働者は、自分が優秀な人材にならないことには高賃金は望めない。これ自体は悪いことではない、自然状態の市場では成果に応じた取り分が相応に配分されているだけだ。

さて、低賃金の会社に政府が圧力をかけるとどのようなことが起こるかというと、この傾向が一方向に増幅されることになる。経営者は、平凡な人を雇ってやる事業を縮小して高度人材だけを雇う事業へと転換しようとするし、投資家もそういう事業により多く投資する。つまり、平凡な人材を雇う会社=平凡な人の労働環境は劣後していく。

「労働者保護」が進むと、平凡な人たちは少なくなっていく椅子を取り合う競争が過熱させる。残念なことに、取り合うと言っても所詮は凡人同士の競争であるし、新しいことをさせてもらうための競争ではなく、あったはずの椅子がなくなってしまったことによる競争である。履歴書に嘘八百を並べて会社に滑り込もうとしたり、余計なことをいっぱいやって仕事ができるフリをしてアピールする競争が過熱する。こうして発達した社会で過剰品質や過剰サービス、おかしな儀式が増えていく様子がたくさん観察されるようになる。

もう少し深く考えてみよう。結局、政治が労働市場に介入することによって生じるのは、一握りのエリートと凡人の隔離であって協力関係の破壊なのである。労働環境を規制する法律が作られ、最低賃金が強化されるほど、優秀な人は優秀な人だけで仕事をするようになり、凡人は凡人だけで仕事をすることになる。

本来なら、協力できるところでは協力すればWin-Winになってお互いが儲かったかもしれない仕事が消える。かわりにやっているのはなんだろうか?作り出され続ける過剰品質や過剰サービスは「過剰」なのであって本質的に「仕事」ではない。なんら生産せず、ただ余計なことをしているだけだ。自由な市場でなら消費者を満足させるための競争をしていたはずの労力が、つまらないタテマエを守るためだけに融けていく。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です