公立学校や役所の中のひとたちは「こんなの非効率だから民間の真似をしろ」というのに、なんでそんな非効率が発達したのかを考えないことにする。
目の前にあるものが間抜けだからやめようと言おうにも、それはダメだで放置されるという話がゴロゴロ落ちている。それはなぜか?
公務員だろうと民間人だろうと同様に人間なのだから、間抜けな失敗はする。
民間の間抜けが公務員より少ないのは、いらないのにやめないままほっといたら、競争力を失って市場から消えてしまうからである。民間にも間抜けはあるけれど、民間では消えていなくなっていくから、公務員より間抜けが少ないのだ。
役所のなかの人はすぐに、「こんなに労働環境が悪くなった」「こんなに余力が多くなった」「こんなミスが頻発するようになった」といって、徴税という形で他人の労働の成果を強制的に奪っていって穴埋めしろと主張する。
権力をつかって独占したら間抜けだらけになって破綻して立ち行かなくなったから、納税者の強制労働でなんとかしろなどという話をするわけだ。
公営事業には価格という情報がないから、やめる根拠がない。だからぼんやりと問題が発達するまで待ってから漠然と「民間なら違う」とかいう話をしはじめるのだ。
民間人をつれてきて公的機関に放り込めばよいという人もいる。だが結局、「これはやり方が古い」くらいの話しかできない。「慣例には何か理由がある」と言われたら反論できる根拠が見つからないから迷子になるしかない。いくら民間にいた人材だからといって、価格によるフィードバックがかからないなら、なんともできないのである。
公務員も、間抜けが非効率を発達させた時にはちゃんと事業を倒産させればよい。だが、権力を持っているからそうしない。文科省も農水省も厚労省も経産省も財務省も……「間抜けが発達してたち行かないから、もっと税金ヨコセ」という。
もちろん、この間抜けな問題は公務員だけのものではない。税金を使う補助金や助成金をうける企業や個人が、間抜けを蓄積して、それを納税者の強制労働で支えている。合法的な奴隷的搾取が続いているのだ。
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