企業家の役割を制限しない

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人は社会の中で自分に何ができるのかを発見して、カネを稼ぐ。それが資本主義だ。

では、「何もできることのなさそうな人」はどうやって稼げばよいのだろう?ここで登場するのが企業家だ。企業家は、市場でのニーズを発見すると出資を募り、事業を作る、と同時に、市場で余剰になっている人間、安値で放置されている人間、を見つけて何か新しいことができないか考えるのである。

企業家は、自分にできる仕事を見つけられない人に代わって、その人にできる仕事を発見してくれる。もちろん、自分で仕事を見つけられない人を助けているのだから、企業家は相当な取り分を主張することができる。

雇われた人の報酬はささやかかなものになるかもしれないが、「何もできることのなさそうな人」が役に立ったという実績と信用を得ることができるのである。そのおかげで、自分にできることがあるというシグナルを市場に送れるように変わっていく。

企業家の取り分を法律が制限してしまうと「何もできることのなさそうな人」を発見しようとする動機は薄れ、彼または彼女が市場から発見される見込みはどんどん消えてしまう。人は、得られる選択肢の中からどうにか生きなければならないから、選択肢が少なくなればその中でもっともマシな選択肢を選ぶしかない。取引の機会を見つけることが難しくなるほど、弱者は取引相手が横柄な振る舞いをしたり強い要求をしてきても、断ることができなくなってしまう。

弱者にとって必要なのはより多くの企業家であって、企業家を制限することではない。最低賃金法や雇用規制によって企業家の取り分を規制してしまったり、企業家の成果に課税してしまうことは、企業家の役割や成果を否定することになる。規制された社会は、自由な社会と比べて、次第に弱者にとって厳しい環境になってしまうはずだ。

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