民主主義国家に憲法が必要な理由

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「憲法は国家権力を縛るためのものだ、人々の自由を奪うためのものではない。」と頭で知っているつもりの人でさえ、いつの間にか論理をひっくり返して、権力を縛るための憲法を人々を縛るための憲法にすり替えてしまってはいないだろうか?

今回は、民主主義国家に憲法が必要な理由について考えてみよう

民主主義は悪いもの

「民主主義は多数決であるというのは間違い」と一生懸命説教するひとがいる。でもそれはおかしな言い方だと言える。民主制 ( democracy )はたしかに多数決をベースにした「制度」のことある。それ以上のものではない。

さて、多数決というものが危険なものだということはもちろん多くの人が気づいている。ここで登場するのが憲法で民主制によって生み出す権力を制限するという考え方である。

なぜ、政府を縛る憲法が必要なのだろうか? 民主的に選ばれた政府であったとしても、人々から自由を奪ってはならないことを約束するためである。

私たち一人ひとりの価値観や置かれている環境は違うとしても、私たち一人ひとりに幸福を追求する自由がある、お互いを理解できないかもしれないけれど、お互いを尊重しよう、だから互いの自由を公権力でもって制限しないことを確認しているのが憲法である。

多数決によって権力を作り出す民主主義が取扱注意の危険物であることは明らかであるからこそ、それを制限する憲法が必要なのである。もしも「民主主義は良いものであって悪いものであるはずがない」などという前提はここにはまったくない。むしろ、悪いもの、危ないものとして警戒する態度が立憲民主主義なのである。

憲法を悪用しない

日本国憲法には、ひょっとして政府は人々を制限しても良いかもしれない、と勘違いしてしまいそうな表現がいくつか紛れ込んでいる。だからといって、憲法の字面を都合よく解釈して国家権力を利用して人々の自由を制限しようとしてはいけない。

私たちの守るべき大切なものは、一人ひとりが自由に幸福追求できるということであって、国家に統制されることではない、制度が多数決だろうが独裁だろうが関係なく、自由を手放して統制されることは望んでいない。だから憲法があるわけだ。

もちろん、憲法の字面が何通りか解釈できるとすれば、憲法は政府の権力を行使する口実を与えるためのものではなく政府の権力行使を制限して私たちを守るためにあるのだ、ということを思い出しさえすればよい。そうすれば、おかしな解釈はできなくなってしまうだろう。

あるいは、すでに政府が作った制度が憲法を歪めて解釈しないと成り立たないとしたら、それは政府がすでに憲法に違反していることを意味している。もちろん、そういうことはしばしばあるのであって、既存の制度が正しいということにはならない。

民主主義を守らない

「民主主義を守ろう」これが危険な標語だということはもうわかっていただけるだろうか?私たちが守るべきなのは、私たちの自由なのであって民主主義ではない。

あえていうなら「民主主義を守ろう」ではなく「自由主義を守ろう」なのであるし、立件民主制とはそもそもそういうものなのである。

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