多くの人が気づいているように、国の福祉というのは、本当に穴だらけだ。
役人が「適正」ならそんなことあり得ないはずだろうが、実際に穴だらけなのだからどうしようもない。困ったことに、私たちは強制的に財産を奪われることで、そんな穴だらけの制度に依存することを、強制されている。
民間の保険会社や慈善団体から市場を奪って公が税金をつかって独占しているのだから、公務員の間抜けを放置したら生命にかかわる。 不完全にしかできないなら、せめて、強制をやめるべきだ。
私たちには、国の穴だらけの福祉に頼ること(そのために財産を奪われること)を強制されずに、他の保険を自由に選ぶ(それを得るために自らの財産から対価を支払う)権利があるはずだ。ところが、政府の制度によって確実に私たちは経済的自由を奪われてしまっている。
私たちが健康で文化的に生きることを政府が邪魔することは、本来なら許してはいけないのではなかったか?保険や年金の強制加入は、私有財産権を侵害するだけでなく生存権も侵害する二重の憲法違反になっている 。穴だらけの公的福祉への支払いを強制するのは財産権と生存権の侵害である。だから、やめるべきだろう。
いや、誰から見ても穴がない完璧な福祉を、国が供給しているならよい。でも全然そうなっていないのである。 多少不完全とかいえるレベルですらない、まったく穴だらけなのである。あぁ、どれくらい穴だらけなのか書くまでもないだろう。(……そして、原理的にそうなるに決まっていた、公の福祉には非効率を市場に淘汰される機会がないからである。)
どんなに間抜けな仕組みでも、できると思う人が勝手にやるなら、「不退転の決意」で突き進んでもらって結構だ。だが、制度として参加を 強制したらだめだろう。
今廃止したら、これまで払った人が損してしまうという人もいるかもしれない、けれども私たちの目の前にあるものは明らかなネズミ講であって、ネズミ講というものは参加すること自体が罪なのである。
払った人のために……といって、民主主義の数の暴力を使って延長すれば、被害者は拡大する一方だ。
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