公立学校や役所の中のひとたちは「こんなの非効率だから民間の真似をしろ」というのに、なんでそんな非効率が発達したのかを考えないことにする。
目の前にあるものが間抜けだからやめようと言おうにも、それはダメだで放置されるという話がゴロゴロ落ちている。それはなぜか?
公立学校や役所の中のひとたちは「こんなの非効率だから民間の真似をしろ」というのに、なんでそんな非効率が発達したのかを考えないことにする。
目の前にあるものが間抜けだからやめようと言おうにも、それはダメだで放置されるという話がゴロゴロ落ちている。それはなぜか?
公務員も労働に「見合った」報酬が得られるべきだという人がいる。だが、見合った報酬とはどのようなものだろうか?
民間企業の人であれば、払いたいと思うお客さんから受け取ったお金を受け取るし、払いたいと思う雇用主から受け取った賃金を受け取る。双方の合意に基づいた取引の中で価格が決まって、合意できないならそもそも価格がない。だから、合意によって成立した価格は見合っていると言えるのである。
公務員に関して言うなら、「公務員の妥当な報酬を決める方法は、そもそも存在しない」というのが正しいだろう。欲しくないサービスを供給されても、普通は要らないということができる。ところが、公のサービスに関して言えば欲しいか欲しくないかと拘わらず税金を負担させられてしまっているからだ。
公務員の給料を増やせ、そんなことを言う人もいる。だけど、納税者としては違和感がある。なぜだろうか?
たしかに私たちは公のサービスを使う。けれども、だからといって税負担を増やすことの妥当性はそもそもよく分からない。なぜなら、それが本当に最も安上がりな手段なのか私たちには分からないからである。それどころか、きっと割高であろうと感じている人も少なくない。実際のところ、お役所仕事が非効率だということは、多くの人が知っていることなのである。
日本人はなんでもかんでもリスクがないことを求めすぎる!
そう、リスクに対する対策に経済的な合理性があるのか、ちゃんと検証していないように見えるのだ。とはいえ、あらゆるものが過剰に安全とも言い難い。平時には安全のためと称して時に無意味なほど大きなコストが投じられる一方で、本質的にはリスクが放置されたまま事故が起き、膨大な費用を納税者が負担するという間抜けな話を私たちはいくつも知っている。
誰もが楽に暮らしているわけではない。安全や安心に費用をかけるにしても、無尽蔵に費用をかけてよいはずはないことは明らかである。だからといって取り返しのつかない事故を起こしてはならない。
いったいどうやったら、安全対策の経済的合理性は判断できるのだろうか?
憲法は、政府が表現の自由へ干渉することを厳格に禁止している。だが、それでは弱者が守られないという人もいる。とはいえ、もちろん憲法は弱者を蹂躙するように設計されているわけではないはずだから、憲法を無視して表現の自由を制限するべきという主張にはきっと何か間違いがあるはずだ。
表現の自由を前提としながらどうして弱者の立場が守られるのだろうか? 続きを読む 「表現の自由」と「差別する自由」がどうしても必要な理由
先行世代を養うために、後の世代に負担させることを前提とする日本の公的年金制度は、設計も実態も無限連鎖講(ネズミ講)そのものである。
人口増加の局面でしか成り立たない仕組みを、人口の多い世代が押し通し、それを国の制度であるといって、投票権すらなかった後発世代に押し付けた。単なる詐欺である普通の無限連鎖講よりも酷い、政府の強制力を利用した暴力といったほうがよいかもしれない。 続きを読む 公的年金制度は民主主義が強いるネズミ講
日本で、夫婦のうち一方が専業で主婦または主夫を行うことは難しくなってしまった。最近では、夫婦の一方の収入で暮らすことができる家庭は少なく、望んで共働きを選べるというよりむしろ、望むと望まずとに拘わらず共働きを選ばなければならないことが多い。
なぜ、夫婦共働きしなければならなくなってしまったのだろうか? 続きを読む 日本が共働きしなければならない社会になった理由
政府が強制的に税金と社会保険料を奪っていかなかったら、平均的なサラリーマンであっても毎月軽トラを買えるくらいの余裕ができる。1年かけずに立派な副業が育つような話だ。
マイノリティを助けましょう(政治の力を使って)
マイノリティを保護しましょう(政府の権力を使って)
公共事業の民営化が話題になると、こんな声も聞こえてくる。
『「老朽化で維持コストが今後膨らむ」ようなものを民間に任せれば上手くいくはずがない。普通は維持コストが膨らんで利益が出せないような事業だからこそ公共が負担するんじゃないのか?』
でも、普通って何だろうか? 続きを読む 「公共事業は儲からなくてよい」という間違い