生活が困難になっている人たちに心を痛める気持ちもよく分かるし、経済的な余裕がない人にとっては無理に支出させられることに抵抗感があるというのもよくわかる。
政府の生活保護制度は、多くの支持者と、多くの反対者がいる制度だ。その折り合いを民主主義で決めましょうというのはそもそも難しい話なのかもしれない。
政府の生活保護
貧しい人を自分一人で助けることは難しいかもしれない。だから、「救貧のためのお金を信用できる政府に託せばよい。私たちは信用できる立派な政府を持っているのだから政府に財産を託して救貧の事業をまかせましょう。」
これが、政府の生活保護制度だ。費用は徴税によって国民から強制的に集めることになっている。
注意しなければならないのは、税金とは「託す」性質のものではなく、「奪う」性質のものであるということだ。救貧のための事業に賛成する人からも、救貧のための事業に反対する人からも、財産を奪うことを前提に制度は維持される。だから、その使途については民主主義のルールによる取り合いが生じる。
現実の税金の奪い合いは、政党の支持母体それぞれの要求を満足させるためにさまざまな利権が作られながら調整される。反対する人が多いテーマであればなおさら、票田を抱き込むための利害調整が政党によってなされ、より多くの利権が作られる。そのため、政府による救貧のための事業は、大きな政府を養うための多くの費用をピンハネされながら実現されるのである。
信用できない政府に頼るのはよくない
せっかく財産を渡したのに政府がちゃんと弱者を救済してくれないということが当然に起こる。
それなら、政府ではなくちゃんと弱者を救済してくれる人なり組織への寄付ができたがほうがよいのではないだろうか?減税の支持者と救貧のための寄付を募るほうが、そもそも乱暴な政府に任せるより簡単にできるのであれば、政府の生活保護制度などないほうがよいだろう。
生活保護に肯定的な人は可能な範囲で財産を支出することに抵抗はないだろうし、寄付する余裕のない人でも税負担削減がなされることについては反対しないだろう。
やっかいなことに、政府は徴税を強制する力を持っている。徴税によって財産の使途を政府に決められてしまうことで、経済的自由が失われているのである。奪われた経済的自由の多くは、税金の納めた人の希望とはまったく無関係な形で流用される。政府がいくら乱暴であったり傲慢であったりしても、政府に託したお金を引き上げて別の人に託すことは著しく難しい。
政府に税金として私たちの財産を渡してしまえば、簡単に政府の不注意の失敗の穴埋めや、彼らの故意の横領によって失われてしまう可能性がいつもある。
政府の財政は常にひっ迫していて、政府は穴埋めの手段を必死に探している。それだけでなく、政府を担う政党はいつでも、自らの政治基盤を確かなものにするためにどうやって利権を作り出そうかといつも必死に考えている。大切な救貧の事業のための資金を、はたして政府に託すべきだろうか?
民間の慈善事業
立派な看板を掲げているからといって、政府の生活保護制度が最良の解決方法であるとは限らない。
政府の生活保護を維持するコストは、実際に生活保護として支給される金額と比べて、著しく割高だろう。大切なのは生活が困難な人を助けることであって、政府の生活保護制度はそのための手段に過ぎないはずだ。
乱暴な政府の生活保護制度に独占させるべきではない。私たちはいつでも、救貧のためのお金を誰か信用できる人に託すことができる。だが、助けるために誰かに財産を託しても、裏切られてしまうかもしれない。もし託した人が事業に失敗して財産を無駄に費消してしまったり、悪意をもって他に流用していることが分かったら、託した財産を取り返して別の人に託すだろう。
民間の福祉事業の素晴らしいところは、出資しないという選択ができるということである。政府の福祉事業ではそんなことはできない、あくまで負担を強いられ、まったく望まない使途に流用され続けてしまい得る。
憲法と生活保護
生活保護制度は日本国憲法25条に定められた生存権を根拠とする制度だ。
苦しんでいる人がいてもほっとかなければならない状態は心が痛むし、自分がそういう状況に追い込まれた時を考えれば、殺伐とした社会を放置することは危険ですらある。私たちには、弱者を救済しようとする十分な動機があるはずである。私たちが慈善のために使えたはずの経済的自由は、徴税という形で政府のものになってしまっている。それを取り返すべきではないだろうか?
政府の財政逼迫はもちろん政府が悪い。だが、そもそも乱暴な財産を託し続けるために憲法を言い訳にしてはならない。そもそも憲法は、政府に権力行使の口実を与えるためのものではなく、政府の権力行使を制限させるためにこそ機能するべきではなかっただろうか?
生活保護を口実に憲法29条に定められた財産権を脅かしていたり、憲法13条に定められた幸福追求権を奪うことを政府が正当化するとしたら、まったく本末転倒というものだ。
憲法の7章では公の財産の支出又は利用の制限について以下のように規定している。他の憲法条文と同様に、政府を暴走させないための大切な制限ではないか?
第八十九条
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
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