「福祉国家」という考え方は、ファシズムを必然的に導く。
国家による高い社会保障を要求する福祉国家の考え方は、政府が失敗する存在であるという点を無視しがちだ。政府は必ず失敗するが、その失敗の責任をとらずに納税者に転嫁してしまう。そのため、政府の失敗はやがて必ず膨張してしまう。膨張する政府を正当化するため、政府はどんどん自由を奪っていく結果となる。
福祉国家というコトバに惑わされて生殺与奪を政府に託してしまった人々は、それに反対していた人たちをも巻き込んで、膨張する政府を止める手段を持たないまま、深刻な自由の喪失を経験することになる。
国家社会主義の失敗
ナチスドイツが目指したのは、ピカピカの福祉国家だった。
一旦税を用いた社会福祉が正当化されれば、その範囲はどんどん広がっていってしまう。その先にあるのが、深刻な非効率の蓄積と、破綻をごまかし続けるための深刻な自由の制限だった。
国家の社会福祉事業は必ず失敗を膨らませる。民間であれば失敗すれば資産が失われて破綻するだけだ。だが、政府は強制力によって、そのツケを他者につけまわすことを前提として延命し、膨張してしまう。
税の支出によって作られた失敗を、政府は税の支出や、権力の行使によって補おうとする、そしてどんどん非効率が膨張する。その口実として「不公平をただすために」とか「人々の健康のために」といった社会福祉の口実が再利用される。
国家の社会福祉政策の失敗は悲惨である。
ナチスの社会福祉政策
税金を使って国家が中央からサービスを供給する公共福祉制度、それがナチスドイツの国家社会主義公共福祉だった。
1933年1月にナチスが政権を獲得すると、同じ年の5月に国家社会主義公共福祉(Nationalsozialistische Volkswohlfahrt(NSV)が福祉機関として設立された。本部はベルリンに置かれた。
NSVは、地方自治体やドイツ連邦州にあった国民に福祉サービスを提供していた民間の機関を国有化し、政府主導での税金を使った社会福祉を提供することになる。
1939年までに、8000の託児所を運営し、母親のための休暇用資金を家庭に配給、大家族向けに追加の食糧を配給、その他のさまざまな施策を行った。
1941年までに、医療保険、老齢年金、失業、障碍者手当、難聴、聾啞者、盲人のための支援、高齢者、ホームレス、アルコール依存症の救済、違法薬物や伝染病に対するプログラムを実施した。
この年までに1700万人のドイツ人が国家社会主義者福祉の後援で援助を受けることになる。NSVは3万のオフィスを構えるに至り、ソーシャルワーカー、矯正訓練、調停支援を監督する業務を行った。
このようなピカピカの社会福祉政策を国家が目指すことは、素晴らしいだろうか?歴史が教えることは、まったく素晴らしくないということである。
国家社会主義政策に基づく社会福祉は大幅に膨張し、ナチスドイツの社会福祉プログラムに必要な資金は、1938年の6億640万ライヒスマルクから1941年には13億9530万ライヒスマルクに倍増した。
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失敗によって失われる経済的自由
人々は人生を国家に依存するようになり、同時に自由を失っていった。
国家が破たんすれば、年金を受け取ることができなくなり、社会保険サービスを受けることができなくなり、国家のサービスを受けることができなくなる。だから国家を維持しなければならない。
国家の破綻が未来の喪失を意味するようになっていく。そして、国家を否定することができなくなってしまう。
もっと、採算を無視してもっと資本を国家に集めなければならない、敵は資本を持つ者たちであって、政府は悪くない。そう、さかんに宣伝されるようになる。
人々は、国家の破綻を免れるためにそのツケを埋めようとする国家のあらゆる政策を支持するようになる。
国家統制による公的社会保障は、ファシズムを必然的に導く。全体が結束し、国家の失敗を認めなくなる。これが、ファシズム(結束主義)である。
国家社会主義と健康ファシズム
禁煙ファシズムとか健康ファシズムという言葉がある。
国家の社会福祉の失敗が蓄積すると、喫煙が禁止されたり、運動が半ば強制されたりするようになる。そうでなければ公営社会福祉が成り立たないからという口実で、そうすることが唯一の選択肢であると宣伝されるようになる。
それを人々は受け入れていく。
だが、禁欲を強いる社会福祉政策をとったとしても、結局は国家の社会福祉政策は失敗する。市場によるフィードバックを利用することができないからである。失敗すればするほど、強い結束が国家によって要求されることになる。
この果てしない失敗と自由喪失の連鎖が国家社会主義の本質である。
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ファシズムと政府による差別
ナチス党の綱領に書かれた一文がナチスの社会福祉政策を象徴する。
我々は、国家がまず第一に国民の生活手段に配慮することを約束することを要求する。国家の全人口を扶養することが不可能であれば、外国籍の者(ドイツ国民でない者)は国外へ退去させられる。
資源は有限であるから、公営社会保障を維持するためには、国内で社会福祉の対象とすべき者と、そうでない者を区別しなければならなくなる。こうして生じるのが、政府による差別の強制と、強い排外主義である。
ヒトラーが強く主張したように、国内の有限な資産の中で求められる要求を満たし続けることはできない。だから、対外的に領土を拡大しなければならなくなる。
国家が国民の社会福祉を統制するとき、強い排外主義が必然的に導かれるのである。政府の失敗はエスカレートし、やがて戦争が始まる。
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国家の強制力に頼る社会福祉政策はダメ
国家社会主義公共福祉から我々が学ぶことは、国家の強制力に頼って社会福祉政策を維持しようとしてはならないということである。
国家社会主義ドイツ労働者党が政権獲得すると、ヒトラーはドイツのすべての私的慈善団体の禁止を宣言した。禁止するまでもなかったかもしれない。というのも、どんなに失敗しても政府が強制力を行使して税で補てんしてしまう事業が競合すれば、民間の事業は発達dcしないからだ。
国が一方で税を用いた博愛の事業を実施すれば、他方で私的な博愛の事業を維持することは、自ずとできなくなる。
日本国憲法も以下のように戒めている、まったく無視されているが。
第八十九条
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
http://shibari.wpblog.jp/archives/13321
写真:Bundesarchiv, Bild 102-17313 / CC-BY-SA 3.0, 貧しい人へのクリスマス・プレゼント(1935年)
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