お金をどうして政府が作り、政府が信用を担保するべきだと決めつけられるのだろうか?政府が勝手に紙切れを貨幣とすることを強制しているのは、決して正しいことではない。
紙切れを印刷するだけで、政府は人々の財産を目減りさせ、奪うことができてしまう。たかだか政府が破綻するだけで、人々の財産の価値がなくなってしまう。 そんな政府の貨幣が正しいものであるはずがない。
本来、貨幣とは交換の媒介として市場で選ばれた商品に過ぎない。タマゴや米の価値を認める人が多ければそれでもよいし、金銀であれば貯蔵性は輸送性はよいから選ばれやすいだろう。自由に選べばよい。
金銀の貨幣がすり減ったしたら、人々はもっとマシな通貨を自由に選択し、劣化したものを価値の減ったものとみなす。もし、政府がそれを同じものとして交換せよと強制するなら、問題がおきる。
通貨が自由であるとき、質の低い通貨は質の高い通貨にとってかわられる。だが、政府の強制があるとき、悪化は良貨を駆逐する。人々は財産の目減りを受け入れることを強制されるのである。通貨というのは、そもそも自由でなければならないものなのだ。
政府の強制力が介入したら、権力が財産を奪う道具の一つになる。 それを最も発達させたのが、現在の形式である。
我々は金銀で取引をしてもよいはずだ、 ところが法律は政府の紙切れで取引を完了することを要求する。強制通用力が法律によって与えられており、法定通貨での決済を拒否できないことになっている。
あるいは、金銀で財産を保管したとしよう。政府が紙切れを印刷して自ら政府紙幣の価値を目減りさせるたびに、金銀が値上がりしたと言って課税される。懲罰を受けることになるわけだ。
財産権を、根本的なところで奪われているというのが現実だ。 けれどもそれは正しいことではない。信用されずに使われなくなるはずの紙幣を、政府の強制力によって無理やり使わせているのである。政府が通貨の信用を守ってやってると勘違いする人がいるけれど、まったく逆だ。 政府が騙してやってるんだからありがたく騙されろ、という話なのである。