「権力は自分の望む姿であるべきだ、私が悪いとみなすものを政府は規制しろ」そんなのは、独裁者になりたいというのと同じである。
結局、自分に都合の良い理想の暴力を正当化して、それは暴力でないと誰かが決めてくれることを求めているだけだ。
そんなことを望んでも、実際に作られるのは自分に都合の良い暴力ではない。既成の枠組みで優位になる集団にとって都合の良い暴力である。
望むことはできる、だが、いつまでも権力を否定せずに現状批判に終始することになる。
決定者を責任者とみなすことで自分が免責されたいという態度は、結局のところ自分の生き方に対する責任の放棄から生じている。
自分に対して無責任な人をいかに増やすかというのは政府のあらゆる政策の先にある。
自分に対して無責任な人が、政府の権力拡大を求め、さらに自分に対して無責任な人を増やしていく。
自分に対して無責任な人が、多数決で権力を作ることを正当化し、しかも多数決で優位にある。
自己増殖する癌細胞みたいだ。